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私たち、やってみたいことにチャレンジしました

憧れていたことや、「やってみたい!」と直感的に思ったこと。そんな心に抱いた思いを実現した人たちがいます。職業や趣味などさまざまですが、それぞれにすてきな物語がありました。あなたのやりたいことも、行動に移してみませんか。

「2人で一緒に」と選んだのは、農業

伊藤直人さん(31歳)・有希子さん(36歳)

「今年はこんなにキャベツが大きく育ちました」と有希子さん。現在、4カ所の畑で年間40品目ほどの野菜を栽培し、直売所などで販売しています

大原野に広がる田園風景。その一角で、野菜を育てている伊藤直人さん・有希子さん夫婦は農家になって6年目。

音楽の専門学校で出会い、結婚。その後直人さんは運送関係の会社に就職、有希子さんはパート勤めに。暮らしは安定しているけれど夫婦がバラバラではないか―。そう感じ、「同じ夢を追いたい」と一歩踏み出すことを決意します。それが農業でした。

「会社では一日中太陽の光を浴びないことも。だから、自然のサイクルに身を委ねる生き方に変えたかった」と直人さん。とはいえ、農業経験はゼロ。農園に研修に行くなど約1年勉強して、2010年、まず直人さんが大原野で就農し、1年半後、有希子さんが合流。当初は伏見に家があり、片道1時間かけての〝通勤〟農業でしたが、昨年大原野に転居しました。

朝から畑に行って作業をし、日が暮れれば家で袋詰めなどの作業と、一日中、野菜と向き合う日々。「雨の日も、風の日も畑で仕事。自然が相手なので、自分が思う半分もうまくいきません。ですが、たくさんの人においしいと喜んでいただける野菜を届けたい」と直人さんは意欲的。有希子さんは「大変な仕事ですが、夫婦で一つのことに打ち込める時間はとても充実しています」。

今後の夢は、農業をしながら、2人が出会ったきっかけでもある音楽活動をすること。心の充実を得て、2人で〝やってみたいこと〟が、また芽生えてきたようです。

仏像彫刻師を目指して看護師から転身

鈴木華津子(かづこ)さん(36歳)

鈴木さんは群馬県出身。当初は反対していた両親も今は応援してくれているそう。工房では弟子たちは基本的に住み込みで共同生活。午前7時40分の掃除から仕事が始まり、黙々とそれぞれの作業に打ち込みます

「やりたいのはこの世界だったと感じています」と鈴木華津子さん。手に持っているのは、仏像の台座にある蓮華(れんげ)の花びらの一枚。鈴木さんは、山科区にある仏像彫刻師・須藤光昭さんの工房で働いています。以前は、埼玉県の病院で働く看護師でした。

「手に職があったほうがいいという親の助言もあって看護師に。でも10年を区切りに、全く別のことをしたいと思い始めて。それなら以前から興味があったものづくりに、できれば伝統産業に携わりたいと学校を探したんです」

このときに見つけたのが南丹市にある京都伝統工芸大学校。なかでもひかれたのが、仏像彫刻専攻コースでした。

「仏像はお寺で見るのが好きだった程度でしたが、それを自分で作ることができると知って興味が湧きました」

2年で同校を卒業し、昨年、この工房へ弟子入り。師匠の須藤さんに鈴木さんについて聞くと、「仏像彫刻師にはそう簡単にはなれません。今はかろうじて道具が使えて作業ができるようになった。このまま持続していけば、3年後、4年後腕があがってくるでしょう。36歳で、社会人経験があることも彼女の強みですよ」と厳しくも優しい言葉が。

鈴木さんも「この道を選んで良かったなと実感しています。とにかくコツコツと、作業をひとつひとつしていく。そうして技術をあげていきたい」と師匠の期待に応える覚悟。仏像彫刻師への長い道のりは、まだ始まったばかりです。

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40歳を過ぎてから中型二輪の免許取得のため初めて教習所へ(当時は車の免許も持っていませんでした)。中型を取得後、大型の免許も取得し、憧れの大型バイク(1300㏄)に乗っています。Kren(44歳)

子育ての手が少し離れたため、一人旅に出かけています。泊まりは無理なので、近畿内で電車で行ける範囲です。親が亡くなったとき、一緒に出かけた場所に行きたいと思ったことがきっかけです。MBH48(46歳)

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