ホーム > > 特集:ひと > 活躍する女性たちに聞きました

活躍する女性たちに聞きました

4月から「女性活躍推進法」(※1)が施行されたことで、女性の働く機会や可能性がより広がっていきそうですね。今回はさまざまな分野で活躍している女性を紹介。その言葉からは、自分らしく生きることの大切さを感じられそうです。
※1 女性が職業生活において、その希望に応じて十分に能力を発揮し、活躍できる環境を整備するための法律

フルーツなどを包んだ創作大福、生み出した数は30以上

「養老軒」 和菓子職人 本田順子さん

和菓子職人 本田順子さん

本田順子さん。「『見るからに、おいしいものを作りそうやね』って、お客さまによく言われるんです(笑)」。ワインエキスパートの資格も持ち、「ワインと和菓子のマリアージュも追究しています」

人気商品の「みかん大福」

人気商品の「みかん大福」(手前)。近日中にキャラメルコーヒー大福が登場します

柔らかな餅の生地に包まれているのは、まるごとのミカンやキウイ、しば漬け、チーズ、トマト…。これらユニークな大福を生み出しているのが本田順子さんです。

「『どんな味がするんだろう』『こんなおいしさがあったんだ』。そんなワクワク感や新鮮な驚きを感じてもらえる和菓子を目指しています」

本田さんは小学生から高校生まで水球、大学ではゴルフに打ち込み、将来はプロゴルファーを目指す“体育会系女子”だったそう。ところが、思いがけない故障によって夢は断たれることに。

「リハビリがてら家業の和菓子店を手伝ううち、お客さまに喜んでいただく仕事に新鮮なやりがいを感じました。それまで、ひたすら自分が勝つことにこだわってきましたが、お客さまに喜んでもらえる和菓子を自分の手で作りたいと思ったんです」

新たな目標を見いだした本田さんは、20代後半で京都府菓子技術専門学校に入学。首席で卒業した後、家業に携わりながら小学校での和菓子体験教室などの活動にも取り組んできたそう。

1996年からは、アイデアあふれる創作大福を次々に発表。

「和菓子界の“非常識”にも挑戦してきましたが、やるからには京都の和菓子作りの伝統に恥じないものをと心がけていました」

30種類以上に及ぶ創作大福は、今や店の看板商品に。本田さん自身も実績が認められ、2010年に和菓子職人では女性初の「明日の名工」(※2)を授賞しました。

「妥協を許さず追究していく精神力をスポーツが鍛えてくれた。厳しい練習に耐え抜いた日々は、目指す世界が変わっても“今の私”をしっかり支えてくれています」

※2 京都府内のものづくりに関わる産業(伝統産業を除く)に従事する優れた青年技能者を表彰

ラグビー日本代表のコーチも経験 アスリートの〝心〟と向き合っています

園田学園女子大学教授 荒木香織さん

園田学園女子大学教授 荒木香織さん

荒木香織さん。「イギリス行きは育児の関係上、コーチとして唯一断ったオファーでしたが選手のために決断。息子を帯同してのぞみました。息子に対しては、ほめまくりの母親です(笑)」。今年2月に出版された「ラグビー日本代表を変えた『心の鍛え方』」(講談社+α新書)も好調

「すごい試合を見せてもらいました。選手に『ありがとう』と伝えると、『来てよかったでしょ?』って(笑)」。そう話すのは、京都出身・在住で園田学園女子大学教授の荒木香織さん。

昨年、ラグビーワールドカップで、世界ランキング3位の南アフリカにラグビー日本代表が勝利したのは記憶に新しいところ。荒木さんはメンタルコーチとして、日本代表を指導。勝利の瞬間は、生後11カ月の長男と現地のイギリスで見守っていたそうです。

就任当初の選手たちを振り返り、「チームの一員としての意識が希薄で、やる気、自信、誇りも感じられませんでした」と荒木さん。そんな選手たちの“心”を変えるべく、アメリカで学んだスポーツ心理学の理論に基づきながら、選手一人ひとりを身近で観察。最大限に力を発揮することを目的に、コンサルティングやアドバイスなどを行ったのだとか。

代表を心理面から支え、快挙に導いた荒木さんは“陰の立役者”として注目され、今は冬季五輪のカーリング女子代表と共に再び世界に挑んでいます。

「24歳でアメリカに留学したときは、バイトを掛け持ちしながらの極貧生活。8年後に帰国し、『頑張ったから報われるだろう』と思っていたら、国内での人脈や実績がない私は『あなた誰?』状態。職を探しながらバイトとニートを繰り返し『日本には居場所がないの?』とヘコんだこともありました」

モチベーションをキープするため、荒木さんが課しているのは「勉強や研究を続けること」です。
「実力で勝負するしかないなら、チャンスがあればいつでも最大限に応えられる力をつけよう。その準備を怠らなければ、負ける気はしません」
自分自身に向けた言葉には、かつて確信を持って選手たちを導いたような力強さを感じました。

このページのトップへ