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中京区橋弁慶町で電子化プロジェクトが進行中
江戸時代初期から受け継がれてきた古文書を次代へ継承

来月から、京都の夏の風物詩・祇園祭が始まります。その舞台となる山鉾町のひとつ、橋弁慶町では、代々引き継がれてきた古文書を解読・電子化するプロジェクトが進行中です!

那須さん(右端)が解読した原稿をもとに、パソコン入力をする平井さん(右から2人目)と、ボランティアスタッフのみなさん

約400年にわたって保管されてきた古文書。町の歴史の移り変わりが克明に記録されています

橋弁慶町の「橋弁慶山」といえば、五条の橋の上で牛若丸と弁慶が戦う様子を再現した山飾りで知られていますね。同町の「橋弁慶山保存会」によって管理・運営されており、その収蔵庫には代々古文書が保管されてきました。 昨秋、この古文書の解読と電子化に取り組むプロジェクトがスタート。現在、20人のボランティアスタッフによって作業が進められています。



紙や木片に書かれているものも

古文書は帳面や紙・木片などを含め約120点。
「実はきちんと読んだことはなく、書かれている内容を詳しく知っている人もいませんでした」。そう話すのは保存会の相談役を務める那須明夫さん。「和紙や木に書かれているため、このままでは劣化が進んでしまう。次の世代に引き継ぐためにも、パソコンに入力し、電子化する必要があると感じました」
那須さんは10年前から古文書教室に通い文書を解読。文字入力に着手したものの…。
「今は使われていない漢字もあり、1文字1文字を確認しながらの入力は、私一人の力では手に負えない作業量でした」
そこで、同町の平井嘉人さんに相談。
「プロジェクトの立ち上げを提案し、ボランティアスタッフを募集したんです。すると、町外からも古文書に関心があったり、お祭りが好きという人の応募が。学生、社会人、主婦などさまざまな人が手を挙げてくれました」(平井さん)



「橋弁慶山」の山飾りは謡曲「橋弁慶」を題材としたもの。牛若丸と弁慶のご神体の御首は永禄6(1563)年、牛若丸の足駄の差し金は天文6(1537)年の作。古式の形式を今に伝える山として、重要有形民俗文化財に指定されています

那須明夫さん。背景の建物は、祇園祭では「橋弁慶山」の牛若丸と弁慶のお飾り場に

当時の時代背景や人々の暮らしが鮮明に

古文書は、江戸時代初期の寛文3(1663)年から昭和9(1934)年に書かれたもの。
「祇園祭などの町の行事に関する運営報告や経費の収支、町の規定などがこと細かに記録されています。人の移り変わり、モノの価格など、時代ごとに当時の様子が伝わってきて、とても面白いですよ」(那須さん)
「京都らしい取り組みに興味を持ち参加しています」「文字入力はできないので、原稿チェックを担当。ナスなどなじみのある野菜の名前が出てくると当時の人々に親近感がわいてきますね」とスタッフのみなさん。
「約400年前の古文書が、地域や世代の枠を超えて新しいつながりをつくってくれました。これからの町づくりの刺激にもなってくれると期待しています」(那須さん)
同プロジェクトでは、今年中に文字入力を完了し、校正などを経て来夏には出版も予定しているとのこと。
現在もボランティアを募集中で、作業は京都イノベーションオフィス(中京区蛸薬師通烏丸西入橋弁慶町222)にて。月2回程度、午後または夜(途中参加・退出可)。応募、問い合わせは、TEL:075(251)8550=京都イノベーションオフィス・平井さん=まで。

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